ふじけんの映画ブログ

映画館で観た作品の感想や考察を書いてます。たまに好きな歌詞の解釈や勉強したことも載せてます。

映画週報「事後承認」(2024/11/11~2024/12/8)~リドリー・スコット監督「グラディエーターII 英雄を呼ぶ声」、片山慎三監督「雨の中の慾情」、ベット・ゴードン監督「ヴァラエティ」~

毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。

1週間に観た映画の感想や解釈をまとめるシリーズですが、今回は4週間分です、事後承認です。笑

今回は2024/11/11(月)~2024/12/8(日)に観た作品、リドリー・スコット監督「グラディエーターII 英雄を呼ぶ声」、片山慎三監督「雨の中の慾情」、ベット・ゴードン監督「ヴァラエティ」となります。

1回しか見ていないので、記憶が不正確な箇所があるかもしれませんが、振り返ってまとめておこうと思います。

作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、事実とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。

 

 

リドリー・スコット監督「グラディエーターII 英雄を呼ぶ声」

2000年製作の前作の正当なる続編。個人的には主人公ハンノの正体がルッシラの息子ルシアスであると明かされるまでが最高に面白かった!

つまりヌミディアの兵士ハンノがローマに侵攻され、妻を殺され、ローマに、アカシウス将軍にグラディエーターとして復讐をするという話から、ローマの皇子ルシアスが両皇帝により腐敗した国を、子供時代に憧れたマキシマスと同じグラディエーターとして、救う話に転調する瞬間にカタルシスを感じたわけです。

前作グラディエーターで、マキシマスとルシアスはコロッセオで会話をしています。その時ルシアスはマキシマスに対して「僕もグラディエーターになるよ」という発言をしています。その当時皇子だったルシアスが、奴隷であるグラディエーターになることは決してないですが、身分や生い立ちを理解していなかったルシアスがマキシマスの勇敢な戦いぶりに尊敬を抱いての純粋な発言だったのでしょう。

ハンノがローマの皇子であることは、作品の中で少しずつ暗示されます。私がこのハンノがルシアスであることに感づいたのは、子供時代のハンノが何者かに追われ、馬で村から脱出しているシーンです。このハンノという子供が追われる理由があり、その際に逃がされるほどの身分であること、そして彼が乗っていた馬が白馬であり、映画文法的に高貴な身分であることが示されていました。

このあたりからまさか、、、という疑念が生まれ、彼がウェルギリウスの詩をそらんじたシーン(彼には教養がある)、そしてコロッセオの土を掴んで祈るシーンで完全に気付きそこで号泣しました。お前。。。ルシアスじゃないか。。。と。笑

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(ルシアス 演:ポール・メスカル)

本作がルシアスは決してなることができないはずの、そしてなるべきではなかったグラディエーターになり、故国を救うという話だと分かった瞬間の感動は、生涯ベスト級でした。

このような見方をしていたので、ルシアスがマキシマスの子供であるという設定とルシアス事自体にローマへの執念はあったのかが描かれていない点は正直不満でした。特に後者は作品の後半で上手く読み取れなかったので、彼に皇子としてローマに帰還するという野望がずっとあったのか、ローマについてから心変わり(決心)したのか分かりませんでした。。。

まぁ後者なのでしょうね、彼はヌミディアでの生活に満足していたようですから。。。ただ、侵攻される側の立場になって、他国を侵略するローマの在り方を変えねばならぬと冒頭で決意したとも考えられますが、だとしたらその点をもう少し明示して欲しいところではあります。

主人公ハンノがルシアスなの!?という点が本作のびっくりポイントの一つだと思うのですが、映画サイトでは既にネタバレされているんですね、これはダメでしょう!

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片山慎三監督「雨の中の慾情」

つげ義春先生の原作「雨の中の慾情」をタイトルに冠した本作ですが、ストーリーには「池袋百点会」、「隣りの女」を使ってますね。本作を観るにあたり「雨の中の慾情」が収録された「つげ義春大全第十八巻」を読んだのですが、その中にこれらの作品も収録されていました。ランボウという店や福子と伊守というキャラクタは「池袋百点会」に登場します。もしかしたら他の作品の要素も入っているかもしれません。特に戦争描写への入口となる左手を負傷した兵士のイメージはつげ先生の代表作「ねじ式」から持ってきたものでしょうか。

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作中でオヤジさんに連れられて、闇バイト?をする話は「隣りの女」のプロットですが、ここら辺から本作独自の要素が入り込んできます。原作では米の密輸をしますが、本作では「つむじ風」という謎の薬品になっています。また原作では県境を越える際に検閲があるのですが、本作では南北、北朝鮮と韓国でしょうか、の国境を超えるという描写になっています。

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(左 オヤジ 演:竹中直人 中 福子 演:中村映里子 右 義男 演:成田凌

ミナミからの帰国の途中、交通事故を起こすシーンからつげ先生の原作から離れ、独自の展開となっていきます。主人公義男は日本軍の兵士であり、おそらくは第二次世界大戦日中戦争に従軍し、そこで負傷した男であること、作品前半のシーンは彼の病床での夢想であったことが分かります。福子は、日本兵義男が懇意を抱いていた売春婦で、オヤジは従軍医でした。

とはいえ、本作の巧いところですが、この一連の種明かしのシーンも作中における現実なのか不明なところです。義男は手足を失う大けがをして、軍の病院で療養していますが、これも夢想のシーンである可能性があります。本作の最後、戦場で撃たれた義男はそのまま息絶える描写がありますので、ここを作中現実と観るならば、病院のシークエンスは死に際に見た夢ということになります。つまり二重の入れ子構造になるのです。

漫画家義男の方が作中現実で、病院で療養しているシークエンスや最後死ぬシーンの方が妄想(漫画のネタ)である可能性もありますが、「つむじ風」というよく分からない薬品や最後の交通事故のくだりもありますから、作品の前半を夢と捉えた方が当てはまりは良い気がします。

さて、私の解釈では漫画家義男は病床の負傷兵、あるいは戦場で死ぬ男の夢となりますが、その場合、空想の漫画家に「つげ義春」と思しき人物を採用した理由が良く分かりませんでした。どちらかと言えば水木しげる先生の方が良いのでは?と思うのです。

つげ先生は1937年生まれ(ということになっています)で、戦争には参加していません。引用元のつげ作品にも戦争の面影はなく、「隣りの女」では安保闘争に言及されています。「雨の中の慾情」と冠したこの作品で日中戦争と思しき描写が取り入れられたことも少々突飛な感があるのですが、そちらを描くのだとしたら、なぜつげ先生とその作品が選ばれたのでしょうか。監督本人のインタビューがあるようなので、そちらを見てみようと思います。

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ベット・ゴードン監督「ヴァラエティ」

本作はシアター・イメージフォーラムの特集上映「ベット・ゴードン エンプティ ニューヨーク」(24年11月16日~)の一作です。ベット・ゴードン監督はアメリカの女性監督とのことで、ニナ・メンケス監督作品やウルリケ・オッティンガー監督作品など女性監督のレトロスペクティブの企画上映が記憶に新しいところです。

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各監督ともに個性の強い作風ですが、ざっくりとした印象として、奇抜なビジュアルと女性視点での社会批判がテーマという点で似通っていると思っています。オッティンガー監督のフリーク・オルランドはとても面白かったなぁ。。。特にこのHeilige Wilgeforteの独唱のシーン。このシーンのインパクトは生涯ベスト級です。。。

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私がベッド・ゴードン監督特集で見たのは「ヴァラエティ」という作品で、1980年前後のニューヨークが舞台となっています。作中でも主人公のクリスティーンがアルバイトを探すシーンから始まりますが、この頃のニューヨークの治安、経済は悪かったようです。その時のニューヨークの様子の一端を伺えるのが、1983年製作の「子供たちをよろしく」という映画です。私はこの作品をケイズシネマの奇想天外映画祭で観ました。

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www.ks-cinema.com

私は「ヴァラエティ」という作品を、風俗産業に関わるうちに、次第に狂っていく女性クリスティーンの話と観ました。彼女自身が売春を行っている描写は描かれませんが、作品の後半、つまり謎の紳士の部屋に忍び込んだ後、彼に会うために電話をするシーンで写された彼女の恰好と部屋の様子が豹変していたこと、彼女が母親や友人と連絡がつかなくなってしまったことから彼女が「闇の世界」に堕ちてしまったことが仄めかされてます。

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(クリスティーン)

彼女が謎の紳士にどのような感情を抱いていたのか、彼女に何があったのかはほんのり描かれている程度ですが、だからこそ、そこに想像の余地が生まれています。作品終盤の決定的な事態に陥るまでも、付き合っていた彼氏とのデートの際にまるで官能小説を読み上げるかのようなクリスティーンのセリフや謎の紳士への執念深いストーキング等徐々におかしくなっていく彼女の様子が描かれるのが本当に恐ろしかったです。

本作で興味深かった点は彼女が狂っていく理由が、もちろんポルノシアターのチケット販売のバイトを始めたことがきっかけではあったものの、彼女自身の好奇心も一因であるように描かれているところです。ポルノシアターのチケット販売のバイトをしたが故に狂ったのであれば、彼女の同僚のホセも同様に狂ってしまうはずです。また本作には同じく風俗産業で働いている女性も複数名登場しますが、彼女達は(かろうじて)”健全”に見えます。

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(バーに通っている御姉様方)

作品後半の彼女達の会話で「ヤバイタイプ」の女性がいて、「そういう女性はストーキングとかしちゃうよね」といった旨の会話がされています。まさにクリスティーン自身が「ヤバイタイプ」の女性であり、一面的な被害者としてのみ描かれていない点が本作の独自固有な点であるように思います。ここら辺の解釈はきっと人によって多様だと思うので、是非色んな人に話を聞いてみたいですね。

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