ふじけんの資材置場

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映画週報「事後承認」(2024/10/7~2024/10/14)~鈴木清順監督「東京流れ者」、フィリップ・リドリー監督「柔らかい殻」~

映画週報「事後承認」(2024/10/7~2024/10/14)~鈴木清順監督「東京流れ者」、フィリップ・リドリー監督「柔らかい殻」~

毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。
毎週映画を観ているけど、Twitterには迂闊に感想載せられないし、せっかくならブログにでも書いておこうと思い立ったわけです。シリーズタイトルは映画週報「事後承認」としました。映画を観た週末明けくらいにブログを書くことになりそうですからね。

今回は2024/10/7(月)~2024/10/14(月)に観た作品、2024年9月27日再公開の鈴木清順監督「東京流れ者」と2024年10月24日再公開のフィリップ・リドリー監督「柔らかい殻」となります。

1回しか見ていないので、記憶が不正確な箇所があるかもしれませんが、振り返ってまとめておこうと思います。

作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、事実とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。

 

 

鈴木清順監督「東京流れ者

本作は日本初公開が1966年4月10日とのことで、今回はBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下での4Kリマスターでの上映となっています。4Kリマスターの概要については下記の記事を参照しましたが、当時のフィルム素材をもとに、現在の映画の制作過程におけるポストプロダクションを実施する作業だと理解しました。

kakakumag.com

www.jppanet.or.jp

ゴジラ-1.0」が第96回アカデミー賞の特殊効果賞を受賞したことで最近一般にも認知され始めたVFXもこの工程に含まれていたりします。フルCGだとプロダクション工程と一体となっていることもあるかと思いますが、基本的には実写やコンピュータ上で撮影(レンダリング)した各映像素材に対して、後から、コンピュータ上で映像効果を足す工程になります。

自分も趣味で映像をいじることがあるのですが、このポストプロダクションで実施する工程が作品の仕上がりに大きく影響を与える工程だと感じています。作品を見て、プリプロダクションやプロダクションの巧拙を判断できる観客は実務経験者以外ほとんどいないかと思いますが、ポストプロダクションの巧拙は一般の観客でも判断できることが多いのではないかと思います。

何かCGが浮いてるよね、とか、作品の雰囲気、具体的には色見や暗さ(キー)がいい感じ、みたな感想にはたいていこのポストプロダクションの巧拙が影響します。

それで本作、その重要な4KリマスターはImagica Entertainment Media Services, Inc.という会社が実施したようです。素晴らしかったです!

www.imagica-ems.co.jp

鈴木清順監督の作品は一枚絵として、印象的な構図や色彩が特徴ですが、本作もその例にもれず、というか鈴木清順監督の作品の中でも特に突飛なライティングを多用している作品でした。屋内撮影、セット撮影、ネオンの街、雪の屋外撮影など、光の条件がバラバラで、セット撮影はバックスクリーンに赤い光、登場人物にスポットライト等、複雑な光源を多用しています。これ当時はどうやって光を合わせたんでしょうね、撮影班の方々も苦労したのではないでしょうか。。。

ライティングだけならまだしも、登場人物の着ている服も色彩が様々であり、赤、水色、白、黒など、ハイカラです。画面に様々な色が溢れる本作ですが、今回の4Kリマスターではまさに「鮮やか」に蘇らせています。公開当時のオリジナル版は見ていないのですが、当時よりもさらに美しい作品となっているのではないでしょうか。

本作の特徴でもあるセット撮影、歌手の千春が歌姫として務めるバー?のセットは大理石風の柱、カウンター、テーブルとピアノがあるのみという奇抜なセットとなっています。まるでジョルジュ・デ・キリコの形而上絵画のような、まるで舞台演劇のような、象徴的なセットが印象的です。

セット撮影というと、いかに本物っぽく見せるかというリアリティが目的となるかと思いますが、ここまで省くとフォルマリズムの域です。佐世保のキャバレーのシーンとか、笑っちゃいましたね。こんなシーン観たことない!

現実と虚構の間を揺蕩うのが鈴木清順監督の作品の特徴だとすると、本作はちゃんとその境界を理解した上で、意図的にリアリティを「破壊」しつつ、ケレン味に全ブッパしたエンターテイメント作品というのが私の感想です。「不死鳥の哲」は佐世保にも、東京にもどこにもおらず、暗闇の中に消え、虚構の中を流れていくのです。

フィリップ・リドリー監督「柔らかい殻

本作も日本初公開が1992年とのことで、リバイバル上映作品となりますが、こちらはデジタルリマスターでの上映となっています。先ほどの東京流れ者にも負けて劣らず、本作も色が重要な作品でした。オープニングの数分で映像の迫力に打ちのめされました。。。本作は大好きシネマート新宿のスクリーン1で観たのですが、大正解でしたね!関東圏の方、観れるのであればシネマート新宿スクリーン1での鑑賞がおすすめです。

本作映画好きの方に好かれる作品のようでネット上にもしっかりとした日本語の映画レビューが残っています。あらすじやディテール思い出すときに大変参考になります、ありがとうございます。

boy-actors.com

ciatr.jp

すでに解説され尽くされている感がありますので、私の気になった点について。

本作原題が”The Reflecting Skin”となっており、肌というモチーフが作中で何回か登場します。

1.冒頭、セス達少年3人が蛙の肌を見て気持ち悪いと言う

2.ドルフィンがセスに「私の皺が見えるの?」と問いかける

3.赤子の死体(イヴンの生まれ変わり?)の蠟のような肌

4.セスの兄キャメロンが持ってる写真に写る赤子の鏡のような肌

私見になりますが、本作では「人間の内面、物の特性が肌という表面に表れる」というテーマがあるように思います。

蛙はキリスト教圏ではネガティブなイメージを持たれる動物のようで、そういった邪悪?な動物であるから、気持ち悪い肌をしている、そしてセス含めた少年はそれを気持ち悪いと感じたという構造です。

ドルフィンは寡婦であり、過去に伴侶を自殺で亡くすという凄惨な体験をしています。一見彼女は美しくに見えますが、セスには皺が見えたようです。これは彼女の悲惨な体験を聞いたセスが、彼女の精神的な疲れを皺に見たということだと考えます。

https://eiga.k-img.com/images/movie/50260/photo/ba8f5d216d966dc1/640.jpg?1725608987

セスがイヴンの生まれ変わりの天使と思いこんだ赤子の死体は蝋化しています。単に蝋化した死体と観ることもできますが、本作では死体=内面がない=物質的な肌になるというメタファーになっていると考えます。

同様に写真に写る赤子も死体であるため、物質的な肌=鏡のような肌になっているのだと思いますが、この鏡のような肌(=Reflecting skin)にはもう一つ、メタファーが付与されていると考えました。それは大罪というメタファーです。

先行の解説を見るとセスの兄であるキャメロンは太平洋で水爆実験に関与する舞台に従軍していたということが説明されています。水爆は多く人を殺す兵器であり、罪の象徴です。そして本作ではもう一つReflecting skinを持つものが登場します。

そう、人さらいの黒い車です。ちなみにSkinには車の外板の意味もあるようです。

本作では兄キャメロンが赤子の鏡のような肌(=Reflecting skin)の写真を持っており、その原因となった水爆のプロジェクトに関与していた、セス自身もReflecting skinを持つ車に給油をして関与していたという相似形を見出すことができます。兄キャメロンには被爆という罰が下っているため、顛末は明かされませんが、おそらくセス自身にも相当の罰が下ることになるのでしょう。最後の慟哭の場面は様々な解釈ができますが、私は友人を、そしてドルフィンを見殺しにした罪の意識と罰(死)に対する恐怖を感じていたと観ました。

https://eiga.k-img.com/images/movie/50260/photo/76c1b5b76bdb84cd/640.jpg?1725608987

(左:セス 右:キャメロン)

もう1点気になる点がありました。

作中父親に水を飲まないと「ホコリ?」になると言われるシーンがあったり、母親に夜更かしの罰として水を飲まされるというシーンがありますが、これは水、というより潤いによって罪を清めるというメタファーがあるように思います。瑞々しさというのは清さのメタファーだとするならば、セスの住む家のサビた金属、枯れかけた木材は罪にまみれた一家の状況を象徴していたのかなと思いました。

皆様はどのように本作を観ましたでしょうか?