映画週報「事後承認」(2024/10/31~2024/11/10)~ルイス・ブニュエル監督「皆殺しの天使」、ウィリアム・フリードキン監督「クルージング」~
毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。
1週間に観た映画の感想や解釈をまとめるシリーズですが、今回は2週間分です、事後承認です。
今回は2024/10/31(木)~2024/11/10(日)に観た作品、2024年10月5日日本再公開のルイス・ブニュエル監督「皆殺しの天使」と2024年11月8日日本再公開のウィリアム・フリードキン監督「クルージング」となります。
1回しか見ていないので、記憶が不正確な箇所があるかもしれませんが、振り返ってまとめておこうと思います。
※作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、事実とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。
ルイス・ブニュエル監督「皆殺しの天使」
ユーロスペースで開催していた「シュルレアリスム100年映画祭」で上映されていた作品で日本初公開は1981年8月1日なんですね。
何故か部屋から出られなくなったブルジョア達、水や食料が枯渇し、病気を持った人が死んだり、自決をする人が出てくるなど、日に日に状況が悪化する様が描かれています。
あらすじには、ブルジョワたちの道徳や倫理が崩壊していくと記載がありますが、彼らは人殺しはしないんですよね。。。もし、この空間に閉じ込められた人間の属性によっては血みどろの戦いはカニバリズムになるだろうに、そうはならない点に、ブルジョワたちの最低限の倫理観が表れていると見ました。殺人どころか、暴力を避けるように説得をしていましたからね、暴力ではなく対話での解決を図ろうとするあたりジェントルだなと思います。
この作品が公開された1962年当時、現地でどのようなリアクションがあったか分かりませんが、ブルジョワだって窮地に陥れば、ただの人と同じでだらしない生活になったり、混乱したりするじゃないか(メシウマというやつです。)という評判が強かったのか、やはり、ブルジョアはやはり、倫理と教養があり、作中のような事態に陥っても殺し合いの大惨事を回避できたという賛美の声が強かったのか気になるところです。
「シュルレアリスム100年映画祭」の企画上映では、この作品のほかにProgramC「ダダからシュルレアリスムへ」として上映された2作品「幕間」、「貝殻と僧侶」も見ましたが寝ました笑。どうも相性が悪かったですね。。。
いずれの作品もモノクロでBGMはあり、一応起票転結は読み取れるのですが、なぜわたしは面白くないと感じてしまったのでしょう。。。
モノクロ作品という点ではちょっと前にイメージフォーラムで上映していたカール・ドライアー作品は楽しく観れたんですよね。「裁かるるジャンヌ」はセリフはありませんでしたが、そうなってくるとやはりダイアローグの有無でしょうか。キャラクターが思っていることをセリフで言うというのはダメな映画の一例として挙げられることがありますが、セリフはなかったらなかったで、退屈な作品になってしまうのが難しいところです。
個人的に、映画の面白さの要素一つに登場人物の葛藤と行動の決断、それが大きければ大きいほど、そして最後に引っ張れば引っ張るほど面白くなると思います。この登場人物の葛藤をより大きく、より深いものにするためにもセリフという要素が大きな役割を果たしているのだなと思いました。例えば、「戦場のメリークリスマス」では序盤でヨノイとセリアズが法廷で邂逅するシーン、ここでのヨノイの「一目惚れ」があり、捕虜となったセリアズをどう扱うのかという葛藤が1時間近く描かれ、最後のハグのシーン、そしてセリアズの処刑という行動の決断とヨノイの傷心(悲恋)というクライマックス、カタルシスに繋がるわけです。もう一組、ハラ軍曹とロレンスの関係も同様です。この戦場のメリークリスマスをセリフなしで作成したときに、同様のドラマを紡げるかというと難しいように思います。「メリークリスマス、Mr.ロレンス」の名台詞も無くなりますしね、、、、。セリフのない作品を観たことで、映画におけるセリフの重要さを考えることができた、そんな経験だったと思います。(寝ましたが)
ウィリアム・フリードキン監督「クルージング」
本作も過去作の再上映となります。日本初公開は1981年1月24日で、なんと「皆殺しの天使」と同じ年に上映されていたらしいです。(精査したら時期は違うかも)
「皆殺しの天使」が出られなくなったブルジョアを描いてましたが、こっちはゲイの世界から出られなくなったノンケを描いています。描いている世界や属性がまるで違う、、、今日のLGBTGとはまた違う、インクルーシブされる前の地下の暗い世界で後ろ暗い欲望を発散しているゲイの世界を生生しく描いています。というか、そんなとこまで描かなくてもというディテールの描写がすごく、スクリーンから匂いが立ち込めてきそうでした。
(左:バーンズ 演:アル・パチーノ)
メインストーリーは潜入調査と犯人の発見であり王道なのですが、ラスト、主人公のバーンズの隣人であるテッドが誰に殺されたのかという点は明かされずに終わります。しかもこのミステリーがオチに直結しているというなんともモヤモヤするエンディングです。争った跡がないという点から知り合いの犯行であり、日夜口論していたことから同棲相手のグレゴリーが犯人として疑われます。
(左:バーンズの隣人テッド)
(テッドの同棲相手:グレゴリー)
このラストシーン、犯人が特定されていないため、他にも殺人犯がいるかも、という未解決エンドとも読み取れますが、主人公のバーンズがシリアルキラーのスチュアート・リチャーズが所有していた帽子とサングラスを持っているという点がさらなる不穏さを醸し出しています。
これはスチュアート・リチャーズの要素をバーンズが継承してしまったという風にも読み取れ、この潜入調査を経て狂気の世界に堕ちてしまったのでは、、、と読むことができます。ここも単に同性愛的な嗜好を持ってしまったという解釈もできますが、殺人の嗜好に目覚めてしまったのであれば、こんなに恐ろしいエンディングはありません。ゲイコミュニティでの殺人事件の解決が困難であることは、主人公のバーンズが身をもって知っています。様々な経験を経て、警部のいう通り事情通になった彼が悪しき欲望に飲まれてしまったのであれば、誰も彼を捕まえることはできないでしょう。
あの地下にある暗いゲイクラブはそういった後ろ暗い感情のるつぼであり、地上で最も恐ろしい場所として描かれているように見ました。エクソシスト顔負けの怖さですね。
今回はラストシーンが曖昧だったので、以下の記事を参考にさせていただきました!


