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1週間に観た映画の感想や解釈をまとめるシリーズです。
今回は2025/1/7(火)~2025/1/13(月)に観た作品、ニック・カサベテス監督「神は銃弾」、オドレイ・ディワン監督「エマニュエル」となります。
1回しか見ていないので、記憶が不正確な箇所があるかもしれませんが、振り返ってまとめておこうと思います。
※作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、事実とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。
ニック・カサベテス監督「神は銃弾」
クリスマスの夜、刑事ボブ・ハイタワーの元妻とその夫が惨殺され、娘のギャビもこつ然と姿を消してしまう。その背後には、悪魔のようなカルト教団「左手の小径」の影がうごめいていた。絶望と怒りにさいなまれたボブは、かつてそのカルト教団に誘拐されたものの生還を果たした経験を持つ女性、ケース・ハーディンと出会う。ケースは心に深い傷を負っていたが、ボブの苦悩と覚悟に動かされ、彼に手を貸すことを決める。(By 映画.com)
これは面白いのでは?と思って見ようと思いましたが、2024年12月27日公開にも関わられず、現時点では東京ではバルト9の小スクリーンで1回上映という縮小ぶりです。156分なので、2時間半超の上映時間となり、劇場としては集客が見込めない長時間上映の作品のため、回数を絞ったということなのでしょうか。ピカデリーとか、特にヒューマントラストシネマとかで上映していそうな作品ですが、当初から東京はバルト9のみでの上映だったようです。
主人公が「正義」の代理者である刑事、対するは「邪悪」を体現するカルト集団、バディはかつてカルト集団に所属していた、見るからに影を纏う少女という面白くなりそうな座組で、ノワールサスペンス、クライムサスペンスの傑作に盛り込まれている要素がふんだんに詰まっています。
かつてカルト集団に所属していた少女であるケースのルックは「ドラゴン・タトゥーの女」のリスベットを想起させますし、「クソ真面目な善人」であるボブが娘を追ってアンダーグランドの世界に迷い込んでいく展開は、まさにノワールの王道であり、ポール・シュレイダー監督の「ハード・コアの夜」を想起しました。
(左 刑事ボブ 右 元カルト集団員ケース)
ケースが所属していたカルト集団のルックスは見るからに異常であり、彼らの殺人や儀式を描いたシーンからは明らかに常軌を逸していることが伝わってきました。そして、その異常な風体(全身にタトゥーを刻み込む)にならなければ彼らの世界に入れないというのも非常に説得力がありましたね。
また、随所にインサートされている義理の父親アーサーと上官であるジョン、ジョンの妻であるマーレーン、そしてカルト集団のボスであるサイラスの関係は事件の核心となるのですが、その闇が主人公サムに開示されずに、事態が収束してしまう点が良い後味の悪さとなっていたと思います。主人公ボブの元妻の現旦那である黒人のサムは、ジョンの妻マーレーンを寝取ってしまい、その腹いせに上官ジョンが、サム一家(ボブの元妻とその娘も含む)にサイラスをけしかけたというのが真相で、だからいつまで経っても捜査に進展がなかったわけですね。
真面目な刑事と元敵方の少女のバディによる追跡劇で、トリックも秀逸、容赦のない描写と非常に面白い要素が詰まっていたのですが、しかし、鑑賞後感としては「惜しい」というのが感想となります。
前半までは容赦のない人体破損描写、カルト集団ならではの猟奇的な殺人現場、アンダーグランドな人身売買の描写などは「おー容赦ないなぁ」と思いながら楽しくみていたのですが、中盤以降、カルト集団の構成員を一人一人成敗していくシークエンスになってからは冗長で失速した感が否めません。特に二人でカルト集団を殲滅するシーンはアクション的な見せ場ではあるものの、カルト集団のメンバー達があまりにもあっけなくやられてしまい、せっかく丁寧に保ってきたリアリティラインを逸脱してしまったように思います。彼らはサイラスを中心に狡猾であったが故に、これまでも逮捕されずに闇の世界で生き残ってきたはずです。そんな彼らが二人に壊滅まで追い込まれてしまうのは少々やりすぎなように思いました。
中盤以降をもっと凝縮して120分前後の作品にしていたら、私の中で傑作になっていたかもしれません。惜しい。
オドレイ・ディワン監督「エマニュエル」
ホテルの品質調査の仕事をするエマニュエルはオーナー企業から依頼を受け、香港の高級ホテルに滞在しながら査察をすることに。サービスも設備もほぼ完璧で最高評価の報告書を提出するエマニュエルだったが、ランキングが落ちたことが許せないオーナーは経営陣のマーゴを懲戒解雇できる理由を見つけるよう、エマニュエルにマーゴの粗探しを命じる。ホテルの裏側を調べはじめたエマニュエルは、怪しげな宿泊客や関係者たちと交流を重ねるなかで、自身の内なる欲望を解放させていく。(By 映画.com)
え、こんな話でしたっけ。。。本作作品の前半はスローテンポで画面が暗く、ポンポン心地の良い?BGMが流れているので、うつらうつらしてしまいましてね。。。笑
オリジナルであるエマニエル夫人(1974)は観ていなかったので、「なんとなくエロい名作」という印象しかなかったのですが、本作を観に行った観客はどのような期待をして劇場に足を運んだのでしょうか?過激な性描写を期待していると、その期待にはあまり添えなかったのかもしれません。
本作はホテルの品質調査に向かったエマニュエルとホテルの経営者マーゴとのビジネス上の戦いが描かれた後、その戦いを仕組んでいるオーナーとの決別=ホテルからの物理的、職業的な離別=解放がメインのストーリーとして描かれています。オリジナルが性愛に関して秘めた欲望の解放を描いていたのと同様、本作は職業上の抑圧からの解放が描かれていると観ました。
(左 マーゴ 右 エマニュエル)
1970年代当時とは女性の社会的な役割や女性自身の関心事も変わっているはずで、そうなってくると女性が何に抑圧され、何に悩み、何から解放されたがっているのかも変わってくるはずです。実はここら辺の作り手側の意図は公式サイトに記載されているようなので気になる方は参考にいただければと思います。ただ、先にこちらを観てしまうと作品の見方が監督に誘導されてしまうかなと思います。
本作エマニュエルを観た後でオリジナルの「エマニエル夫人」を観たのですが、本作がオリジナルとまったく関係ない作品かというと、いくつかのシーンでオマージュがされています。飛行機での情事(現実か夢想かは曖昧に描かれています)、エマニュエルがアジアの少女に性の手解きをうける、滞在場所の現地の雰囲気に触れた後、指示役の男性と行為をする男性による3人での行為等はオリジナルと同じですね。
逆に、オリジナルではアジア(タイ)に客として訪れた白人夫婦が主人公でしたが、今作はアジア(台湾)でホテルを経営する側の女性が主人公で立場は変更されています。また、オリジナルではビーという女性が、主人公エマニエル夫人を含めた有閑マダム達とは対照的な働く女性として登場していましたが、本作の女性は働く女性が主人公になっています。
そもそも、オリジナルのエマニエル夫人も単にエロい話というよりは、順風満帆だった夫婦が他の夫婦の関係性に触れ、夫婦とは何か、性愛とは何かを探求する話であり、結構考えさせられる内容でした。ラストシークエンスのマリオのくだりは、今となっては少々押しつけがましい気もしますが、性愛の深淵を提示するという点では作品(作り手)の試みとしてはアリだったのではと思います。
そういった意味ではエマニュエルはオリジナルの時点から、単に過激な性描写を売りにしていただけではなく女性の苦悩と解放(への試行錯誤)をテーマにしていたわけで、本作は舞台を現代に改めて、うまく換骨奪胎をした正当なリメイクだったように思います。
なお、オリジナルのエマニエル夫人以降の続編やバリエーションは観ていないので、そっちがどうだったかは把握していないのでご容赦ください。。。