ふじけんの資材置場

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是枝裕和監督「怪物」の感想

是枝裕和監督「怪物」の感想~怪物はだれなのか~

毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。

今回は2023年6月3日公開の「怪物」についてです。
1回しか見ていないので、記憶が不正確な箇所があるかもしれませんが、振り返ってまとめておこうと思います。

作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、事実とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。

 

 

なぜ、本作は男の子同士なのか

本作を観終えて、まず思ったのはこの脚本、この作品はなぜ男の子と女の子の物語ではないのだろうかという点。ここでは、是枝監督が男の子と女の子ではなく、そして青年と青年ではなく、なぜ小学生男子と小学生男子の関係を描いたのか解釈を記載したいと思います。

お母さん(演:安藤サクラさん)パートと担任の先生(演:永山瑛太さん)パートについて

作品の前半から中盤では、湊の母親と、湊の担任の先生が湊と依里の交遊関係を巡って、別々の、事実とは異なる認識をすることにより生じた不幸な衝突が描かれています。母親は息子の湊が担任の先生にイジメられていると誤認し、担任の先生は湊が依里をイジメていると誤認しています。

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(左が依里、右が湊)

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(湊の母親)

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(担任の先生)

 

ここでのポイントはお母さんも先生も嘘をついておらず、あくまでも「認識誤り」が起きているという点です。つまり羅生門効果ではなく、Unconscious Biase(アンコンシャスバイアス)による認識のずれが発生していることを一連のシーンでは描いているのではないかと思います。

気づこう、アンコンシャス・バイアス~真の多様性ある職場を~ |連合アクション 2020

Unconscious Biase(アンコンシャスバイアス)の例は様々ありますが、本作で描いているアンコンシャスバイアスは「初恋は男の子と女の子がするものだ」です。特に小学校高学年、中学生のコイバナと聞くとほとんどの人が異性の話を連想するのではないでしょうか。このような多くの人がイメージする小学生の初恋に関する無意識のバイアスを暴いているのが、中盤までのシークエンスです。

大衆に消費される同性愛、おかまとボーイズラブ

現実世界の日本でもLBGTQへの理解や法律の改正が進んでおり、同性愛は受容されつつあるように見受けられますが、それが「どのように受け入れられているか」については一考の余地があります。

本作で登場している男性の同性愛描写は2つ、テレビ番組で登場している典型的なオカマキャラと隣の席の女子小学生が読んでいるBL(ボーイズラブ)の漫画(小説かも)です。

男性同士の恋、恋愛といって世間が想像するものはおおよそ上記の2つであり、特に前者からくる男性同性愛者のイメージは、依里の父親が「病気」として捉えているように男性、とくに父親からは依然として激しい嫌悪の対象となっているのでしょう。(そういえば、サム・メンデス監督のアメリカンビューティーでも似たような描写がありましたね。。。)

ダイバーシティ、多様性等の名目のもと、ビジネスの文脈からも、コンテンツの文脈からも男性同士の恋愛が大衆化しているとは言え、そのイメージは上記の2つのような青年、成人の同性愛者やその関係性が大半なのではないでしょうか。

真のタブーとしての少年同士の「恋」

男性同士の恋愛が一般化している中で、いまだ一般化していない、多くの人が想定しえない(アンコンシャスバイアスが生じる可能性が高い)のが、本作で描かれる男の子同士の初恋です。この関係性、そしてその不安と絶望を本作では描こうとしているのだと私は観ました。

本作で描かれる初恋はその体験から連想されるような甘酸っぱいものではなく、家族を持てないのではないか、世間から笑われることでしか生存戦略がないといった不安、絶望を描いている点が秀逸です。

故に湊は依里が好きなことを全員に隠しますし、その悩みの重さは孫をひき殺した校長先生と同等であるというように描いています。一方の依里は父親からの虐待を受け、「生まれ変わり」を望んでいます。

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(右が校長先生、謝罪のシーンは国会答弁みたいで面白かったですね)

怪物は誰だ?

結論から言うと怪物は「男の子が好きかもしれない」という気持ち、不安です。

「怪物誰だ」というセリフは湊は依里が廃棄された電車の中のゲームで発せられます。このゲームは頭の上に動物のイラストを乗せて、相手にその動物の特徴を言ってもらい、頭の上の動物が何の動物か当てるというものです。

少々抽象化すると、これは相手に自分(=頭にのせた動物)が何者か説明してもらうということであり、湊が「僕は依里くん?」ということで、湊が依里と同様に男の子が好きであることを自認するという意味があると解釈しました。

つまり「怪物誰だ」=「自分は何者だ」=「(依里と同じ)男の子が好きだ」という関係になっています。まぁ多分に議論の余地はあるので一解釈ということでご容赦ください。。。

ラストは救済か?

私は、最後のシーンで湊と依里は死んでいると解釈しました。明示的に描かれていませんが、理由は以下の通りです。

・電車は土砂に巻き込まれて横転しており、少なくともケガはしているはず。

・救急車の音(二人が運ばれているのだとしたら、体は病院にあるのでは?)

・うなだれる依里の父親(演:中村獅童

・台風前にはバスから抜ける水路は描かれていない(三途の川のイメージ)

・「生まれ変わったのかな?」、「そのままだよ」という会話

・白飛びするほどの過剰な露光(天国のイメージか)

・行き止まりの柵がなくなっている(どこまでも行けるというメタファー)

 

つまり心中もので、現世で結ばれない二人があの世で、もしくは来世で結ばれるために死を選択するという話です。ロミオとジュリエットのバリエーションと考えられます。悲しいですが、鑑賞後の余韻はピカイチですね。

 

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