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河瀬直美監督「東京2020オリンピック SIDE:B」の鑑賞後レビュー

河瀬直美監督「東京2020オリンピック SIDE:B」の鑑賞後レビュー

~「「東京2020オリンピック」の2つの事実を描いた映画」の片面に関する10つの事実~

毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。

今回は2022年6月24日公開の「東京2020オリンピック SIDE:B」について、作中で描写、言及されていたことの備忘的なメモと鑑賞後感(レビュー)を記録してます。

自分は河瀬監督のファンではありませんし、東京オリンピックに対しても開催賛成、反対について強い意見があったわけではありませんでした。なので、あくまでもこの作品を見て得られる情報から意見を形成しています。

作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、「事実」と「真実」とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。

 

 

1.SIDE:Bでもアスリートの視点は描かれている。

SIDE:Aではアスリート側の視点で描かれ、SIDE:Bではアスリートを支えた側の視点で描かれるという予告でしたがSIDE:Bでもアスリート側の視点が含まれています。例えば、バトミントンの桃田選手、日本男子リレーチーム、南スーダンの選手団、体操の内村選手など。作品内の割合として、アスリート側よりも非アスリート側の描写が多いですが、相応の時間はアスリート側の視点から描かれていると感じました。(経過時間は当然見れないので感覚値です)

2.オリンピック開催"前"のイベントについて描かれている

SIDE:Bについても、SIDE:Aと同様、特定の1人についての物語ではなくいくつかの人物の言動の記録とインタビューをつなぎ合わせて作成されています。森会長、バッハ会長、選手村の食事のチーフ等、それぞれの人物が東京2020オリンピックの開催に向けて、何をしたのか、どのような発言をしたのかを描かれています。なお、SIDE:B固有の特徴としてはSIDE:Aと比べて、組織員や政治家の集まりなどの「会議体」に関するシーンが多く含まれているという点が挙げられます。

3.バッハ会長、森会長について中心に描かれている

作品のメインの登場人物として、IOC会長のバッハ会長と森会長(辞任されたので正確にはEXでしょうが)が据えられており、作品の多くの時間を使って彼らの動向と折々のインタビューシーンが挿入されています。特に彼らの動向については、密着しているだけあって、今まで知られていなった映像が使用されています。例えばバッハ会長が原爆資料館に訪れた際の資料館内部の映像や森会長と大会運営委員の会議シーン等。これらのシーンでは公のイメージとは異なる彼らの意外な一面が垣間見えます。(それと同時にこれらのシーンが、本作を非常に注意して観なければならない作品にしたと感じています。)

4.東京オリンピックの初期演出チームの解散、佐々木氏の就任について描かれている

東京オリンピックの演出チームは当初野村萬斎氏が総合統括でしたが、チーム自体が解散し、途中から電通出身の佐々木氏が後任となっています。この総合統括の解散に関する経緯の詳細は描かれておりませんが、野村萬斎氏の胸中が語られています。また初期演出チームの解散、野村萬斎氏の辞任時の会見での野村萬斎氏の発言、佐々木氏の発言の映像が挿入されています。一方、佐々木氏は後に辞任をするのですが、作中では「佐々木氏が辞任した」ということが分かる程度でその詳細は一切描写されておりません。

5.東日本大震災津波、広島原爆投下についても(詳細ではないが)言及されている

作品冒頭に注意喚起があるのですが、作中で東日本大震災津波の映像が使用されています。東京2020オリンピックが東北の復興の象徴としての大会を標榜しており、東北出身のアスリートの活躍もSIDE:B内で描かれているため、背景の提示として津波の映像が使用されたと考えられます。同様にバッハ会長が広島へ訪問をしたため、広島原爆投下についても詳細ではないものの言及されています。

6.オリンピック反対派のデモについても描かれている

SIDE:Aでも描写がありましたが、オリンピック反対派のデモの様子についてSIDE:Bではより多く描写されています。バッハ会長の訪日時に彼に詰め寄る女性、同氏の広島訪問時の抗議デモの叫び声、あとはコロナ禍でのオリンピック開催に反対するデモの様子です。なお、作中ではコロナ禍で営業自粛を余儀なくされたライブ会場のオーナー?のインタビューは挿入されてますが、デモを実施しているデモ参加者に対するインタビューは描写されてません。

7.聖火リレーについて描かれている

日本各地で行われた聖火リレーについてもそれなりの時間を使って描写されています。特に聖火リレーの走者である孫を見守るおばあちゃんのシーンと太平洋戦争時の本土上陸に言及した沖縄での聖火リレーのシーンはより多くの時間が使われています。

8.冒頭の会議シーンでいわゆる「エヴァンゲリオン」フォントが用いられている。

冒頭は予告でも公開されている会議シーンから始まるのですが、会議中の発言に合わせてエヴァンゲリオンで使用されているようなシーンが挿入されています。(この意図は何?)

ヱヴァ風フォント

9.随所で8ミリフィルム調の子供の顔のシーンが挿入されている。

SIDE:Aでもところどころ8ミリフィルム調の子供の映像が挿入されていましたが、SIDE:Bでは多用されています。特にオリンピックの運営が困難になっていることを描写するシーンの合間にこの子供のシーンが挿入されているように見受けられました。(「8ミリフィルム映像 子供」で画像検索すると出てくるような映像です。)

10.2100年8月に自制が飛ぶ

SIDE:Bのラスト、オリンピック会場のディスプレイに表示された日付が2100年8月(間違ってたらすみません)となり、作中の時制が未来に飛びます。その後、風景や子供が遊んでいる?映像に、東京2020オリンピックの思い出?を子供?が語る音声を重ねたシーンととなり、本編は終了します。

以下、作品を観た個人的な感想

以下、主観を交えた感想です。東京オリンピックの開催に関する是非やそれにまつわる政治と金の問題については極力排して、作品を観た感想を述べます。(そういった背景を排するのは困難かつ不自然であるとは思いつつ)

時制の移動が多すぎる

作品の形式上、各人物ごとにオリンピック開催までの動向が描かれているために、頻繁に時制が前後します。キャプションやオリンピック会場のディスプレイの日時の表示により、時制を表示しているものの、少々観にくいという印象を覚えました。

アスリートを支えた側の視点が少ない

SIDE:Bはアスリートを支えた側の視点ということでしたが、アスリート側と森会長、バッハ会長の視点が多く、大会の運営側の視点が期待より少ないという印象を覚えました。作中では選手村の食事担当、会場の芝生の整備担当、会場の設営担当についてはインタビュー形式で描写がありますが、その他にも大会の現場オペレーションに携わった人がいたはずです。そういった方々に関してもっと描いて欲しかったと思います。

オリンピック開催反対派の描写が少々偏っている

上述の通り、オリンピック反対派についても描写がありましたが、その多くはカタコトの英語でオリンピックの開催反対を叫んでいる映像や音声が用いられています。当時の日本の状況を知らず、本作のみを観た場合、「理性的な話し合いができない群れが、オリンピックの開催の反対について叫んでいる」という印象を与える懸念があると思いました。

その当時はCovid19自体の毒性、メカニズムもまだ不明確であり、ワクチンも2022年6月現在ほど普及していなかったことから、日本ではSNSYoutube等の動画プラットフォームを代表するインターネット空間、テレビ新聞等のマスメディア、現実社会においても、開催の是非が様々な人によって盛んに「議論」されていたと認識しております。少なくともオリンピックの開催が無条件に歓迎されるような状況ではなかったとの認識です。

そういった「事実」を作中ではほとんど描写せず、それらを「困難」として、オリンピック推進側をその「困難」を乗り越え開催に漕ぎつけた立役者として描写している本作を、ドキュメンタリフィルムとするのは事実と歴史の歪曲に繋がるおそれがあると思いました。(IOC Presentsの作品なので仕方ないとは思いますが。。。)

これは本作に限らずドキュメンタリ作品が須らく抱える問題ではあり、観客の主観が混じる程度問題ではありますが、「事実」と「真実」を標榜するだけに、その取扱いは一層の慎重さが必要だったと考えます。

随所に挿入される8ミリフィルム調の子供のシーンと2100年8月のシーンの映画的意味が不明確

SIDE:Aから時折描写される8ミリフィルム調の子供の顔のシーンですが、このシーンは作品の随所に挿入されています。子供のシーン以外にも、海のシーン、木のシーン、炎のシーンなどが頻繁に挿入されますが、これらのシーンの必然性が不明確です。

もし本作及びSIDE:Aが、ドキュメンタリ作品を標榜していなければ、こういった演出はアーティな表現で、作者何かしらの意図を込めてモンタージュ的に挿入しているのだと飲み込めなくもないですが、殊に「事実」と「真実」を描くということであれば観客によって解釈が分かれるような抽象的な手法は用いるべきではなかったと考えます。

またSIDE:Bでは最後に2100年8月に時制が飛ぶのですが、この演出により本作は完全にフィクション作品になってしまったと考えます。作中であるアスリートが「コロナ禍で開催されるこの東京2020がこれからの100年でおいても重要なポイントとなる」(意訳)といった発言をしているので、それを受けての演出だと理解したのですが、この演出を用いるのはドキュメンタリフィルムとして適切とは思えません。

仮に本作SIDE:Bをドキュメンタリフィルムではなく、作家主義の芸術的映画として、フィクション作品として解釈しようとすると、そもそも「事実」と「真実」を描くというテーマ(趣旨、テーゼと言っても良い)に反することとなります。

ただ、もう一歩深読みして、これらの反応を監督が全て意図しており、「実際に発生した問題をスポーツや子供目線や昭和的な情熱でフィクション化、感動的な物語化してしまうのが日本よね」という風刺を含んでいると考えることも可能ではないか、とも思います。

まぁ「それ感」(それってあなたの感想ですよね感)の域を出ませんが。
この作品、後日配信されるのでしょうかね。。。?

作品ティザー

参考

tokyo2020-officialfilm.jp

eiga.com