ふじけんの資材置場

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トム・フィッツジェラルド監督「ステージ・マザー(原題:Stage Mother)」について"感察"する!!

トム・フィッツジェラルド監督「ステージ・マザー(原題:Stage Mother)」について"感察"する!!

毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。

アラサーサラリーマンの私ですが人生の唯一の生き甲斐である映画を観て”感じた”ことを”考察”、つまり”感察”したいと思います。要するにただの戯記事です。

今回は2021年2月26日(金)公開の「ステージ・マザー(原題:Stage Mother)」についてです。

※作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、事実とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。

何より冒頭が面白い

本作品で巧いなと思ったのが冒頭。いかにも場末なスナック風の店内で歌うドラァグクイーン二人組。音楽に合わせて口パクで歌う。んーいまいち。当然客もまばらで雰囲気も白けている。そんなスナック、ではなくゲイバーが本作の舞台。

その後、貴族の恰好をしたドラァグクイーンが登場し、アルコールでフラフラになりながら口パクのパフォーマンスを始めますが口が曲に全く合ってない。さっきの二人組よりヒドイ。曲も佳境に差し掛かった頃、なんと彼女は突然ぶっ倒れ、そのまま彼女は帰らぬ人となってしまう。彼女の本名はリッキー、そう本作の「主人公」である。

なんという急展開であろうか。冒頭10分で主人公は息を引き取る。主人公がリッキーの母であるメイベリンに移って以降の話はウェルメイドでチアフルな作品の中で、この冒頭だけは非常にショックの大きいシーンとなっている。

テキサスとサンフランシスコ

リッキーの母親であるメイベリンは彼女の訃報を「友人」であるネイサンから聞く。息子の子供の頃の写真を抱いて号泣し、息子の死を悲しむメイベリン。彼女はリッキーの葬式が開催されるサンフランシスコに向かおうするが、夫は葬式に参加しないどころか、家を出ていった息子のことなど知らないと言い放つ。それでも夫の反対を押し切りメイベリンは一人サンフランシスコに向かう。

このメイベリン夫婦が住んでいるのはテキサス州。本物カウボーイがすむ(と言われる)田舎町に住んでおり、彼らの生活スタイルは非常にコンサバティブ。一方のサンフランシスコはドラァグクイーン、シングルマザー達が闊歩する自由でカオスな街として描かれておりこの2つの州の文化的な対立構造とメイベリンの葛藤が対応する形で話が進んでいく。

そして場面は変わりサンフランシスコ。意を決して参加した息子リッキーの葬式には同じカマであるドラァグクイーン達が。。。明らかに場違いなメイベリンドラァグクイーン達は故人であるリッキーが大好きであったという愉快で下品なショーを始める。唖然とするメイベリン。彼女は耐え切れずに葬式会場を後にした。

家を出た子供のことを親はどれだけ知っているのだろうか

逃げるように葬式会場から飛び出したメイベリン。保守的な彼女にとって葬式で行われたドラァグクイーンのショーはインパクトが強すぎた。その後、彼女はリッキーと彼女の「友人」であったネイサンが同棲していたアパートを訪れるが文字通り門前払いをくらう。リッキーはメイベリンが認めればネイサンとパートナーになるつもりだったらしく、ネイサンはいつまでも結婚を認めなかったメイベリンを疎んでいるよう。

メイベリンが知っているのは、子供の頃の「いい子」だったリッキーであり、家を出てって以降のドラァグクイーンとして息子のことは知らない。メイベリンは息子リッキーがドラァグクイーンとして過ごしたこの街で、息子の面影を追いつつ、彼の残したゲイバーの改革に着手するだった。

マザーの第2の人生

ゲイバーの改革に乗り出した彼女はそこで働くドラァグクイーン達や居候先のシングルマザーの母として、第2の人生を歩み始める。そんな中で彼女はナイスミドルな恋愛も経験する。テキサスの良い奥さんであった彼女はドラァグクイーン達に感化される形でサンフランシスコの女になっていくというのが以降のあらすじ。

途中、テキサスに住む夫が、葬式に行って以来帰ってこないメイベリンを連れ戻しに来るが結局彼女はサンフランシスコに帰るという選択をする。夫の奉仕者である「良い妻」であったメイベリンはもういないのだ。

場所が変われば人が変わるとはいうが、メイベリンは息子が過ごしたサンフランシスコという場所でステージ・マザーとして生まれ変わったのだろうか、それとも元々彼女が持っていた彼女のマザーとしての素質がこのサンフランシスコで開花したのだろうか。

惜しむらくは、息子のリッキーが生きている間にこのサンフランシスコを訪れていればということだろう。そうすればリッキーにとっても、彼のパートナーのネイサンにとっても、そしてメイベリンにとってもより幸福な人生となったに違いない。ただリッキーの死がなければ、メイベリンはサンフランシスコに訪れることもなかったでしょう。そう考えるとすべてがうまくいくなんてことはないのだろうと思いました。

何かを始めるのに遅すぎることはない、むしろ何もしないと後悔するぞ

そう思った作品でした。

参考

stage-mother.jp

eiga.com