中島みゆき「ファイト!」の歌詞について考える
中島みゆき「ファイト!」の歌詞について考える
~川と海と魚と闘う君~
毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。
アラサーサラリーマンの私ですが仕事が辛いときにいつも聴いてる中島みゆきさんの歌について自分が感じたこと、考えたことをまとめてみようと思います。
まずは有名な「ファイト!」から。
中島みゆき「ファイト!」について
中島みゆきさんの「ファイト!」は1994年5月14日に発売された中島みゆきの31作目のシングルでもともとは1983年に発表されたアルバム『予感』の収録曲でした。
最近だと満島ひかりさんが2020年のFNS歌謡祭で歌って話題になりました。
「ファイト!」はこれまでに福山雅治さん、吉田拓郎さんなど多くのアーティストにカバーされている名曲で知名度も高いのではないかと思います。
「ファイト!」の歌詞を考える
そんな「ファイト!」の冒頭の歌詞ですが、純粋な応援歌というには少々暗い内容が多く、これって本当に応援歌なの?と思った方も多いはずです。
というのもこの「ファイト!」、ただの応援歌ではないからだと私は考えます。
以下では実際の歌詞を追っていきながら、この曲があなたをどのように応援しているか考えてみたいと思います。
※言わずもがなですが、以下は個人の感想でありますので、誤った解釈をしているかもしれませんが、ご容赦をいただければと思います。
あたし中卒やからね仕事をもらわれへんのやと書いた
女の子の手紙の文字はとがりながら震えている
消え入りそうなドラムと声で始まるこの歌詞。中卒の女の子は仕事を探していますが、バイト探しでしょうか。そんな悠長な状況ではないことが彼女の手紙の文字に表れる震えから伺えます。手紙を書いていることから、家族とは一緒に住んでいないのでしょう。実家から出て、暮らしていたものの、中卒であるために仕事がもらえず、お金が稼げないという不安な状況に彼女がいることが分かります。
ガキのくせにと頬を打たれ少年たちの眼が年をとる
悔しさを握りしめすぎたこぶしの中爪が突き刺さる
中卒だから仕事をもらえなかった少女の次はガキのくせにという理由で理不尽な暴力を受ける少年の様子が歌われます。
私本当は目撃したんです昨日電車の駅階段で
転がり落ちた子供と突き飛ばした女のうす笑い
私驚いてしまって助けもせず叫びもしなかった
ただ怖くて逃げました私の敵は私です。
場所は変わり電車の駅の話、ここで登場する"私"は理不尽な扱いを受けた被害者である少女や少年の場合と違い、ただの傍観者なのです。ただの傍観者であるにも関わらず、怖くて逃げてしまうのです。もし勇気があれば、突き飛ばした女に「何てことをしているのか」と問い詰めることもできたでしょう。目の当たりにした理不尽に立ち向かえないのは、怖いから。私の立ち向かうべき敵は私の臆病な気持ちなのです。
ファイト!闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
ここでCMでも有名なサビに入ります。さて歌詞が「戦う」ではなく「闘う」なのはなぜでしょうか。
「戦う」は“戦争する。勝ち負けを争う”の意味です。例文としては「敵国と戦う」「選挙で戦う」「優勝をかけて戦う」など。一方の「闘う」は“困難などを克服しようとする”の意味です。つまり「闘う君」は競争で誰かに勝とうとしているあなたを応援しているのではなく、困難に立ち向かうあなたに対して「ファイト!」とエールを送っているのです。
ここで水の中をのぼるという歌詞が出てきます。これは魚の川登りのことでしょう。例えばサケ,マス,アユなどの魚は産卵のため川に登ります。このサビで「闘う人」が「川を登る魚たち」に例えられていくことが提示されます。
(中島みゆきさんの出身地が北海道であることから、この魚はサクラマスではないかと言われています。)
暗い水の流れに打たれながら魚たちのぼってゆく
光っているのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ流れ落ちてしまえば楽なのにね
やせこけてやせこけて魚たちのぼってゆく
川登りをしている魚について描写されています。暗い水に打たれボロボロになりながら川を登る魚。なぜ魚たちは懸命に川を登るのでしょうか?
勝つか負けるかそれはわからないそれでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめてあいつは海になりました
戦いの出場通知ではなく、闘いの出場通知。つまりこの出場通知はなにかしらの大会を勝ち進んで獲得したものではなく、困難に立ち向かう覚悟を抱いた(いだいた)、という意味なのではないかと思います。”あいつ”はそのような覚悟を抱いて、水の流れに身を任せ流れず立ち向かったのでしょう。それでも”あいつ”は海に流れ落ちてしまったのです。
ファイト!闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
ここで2回目のサビとなりますが、ここまでの歌詞を見てみると1回目とは応援している対象と内容が違うことに気づくのではないでしょうか。1回目は怖がりな”私”を励まし、2回目は流れてしまった”あいつ”を讃えているように私は思います。
薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ
出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ
うっかり燃やしたことにしてやっぱり燃やせんかったこの切符
あんたに送るけん持っとってよ滲んだ文字東京ゆき
歌詞中の「足で砂をかける」とは恩義のある人を裏切るばかりか、去りぎわにさらに迷惑をかけることのたとえです。田舎から若者が出ていくとその田舎の労働力が減ってしまうため田舎の人は快く思わなかったのでしょう。これまで育てた恩義も忘れて、どこかへ行ってしまうようならば、残した家族を酷い目に合わせるぞと脅しているのです。こういった理不尽に合い、田舎に残した家族のために、東京へ行くという夢を泣く泣く諦めようとしたが諦めきれず、燃やしたことにしてやっぱり燃やせなった切符を彼女は”あんた”に送ったのです。この東京ゆきの切符は彼女(彼)の闘いの出場通知そのものです。
あたし男だったらよかったわ
力づくで男の思うままにならずにすんだかもしれないだけ
あたし男に生まれればよかったわ
こういった性別による差別は現代でおいても最も大きな理不尽の一つなのではないでしょうか。この理不尽を前にしては「闘う」ことはできず、男に生まれ変わるしかないという「諦め」が歌われているように思います。
ああ小魚たちの群れきらきらと海の中の国境を越えてゆく
諦めという名の鎖を身をよじってほどいていく
この小魚の群れはいったいどこから来たのでしょうか?この小魚はボロボロになりながら暗い水に打たれ川を上った魚たちの子どもなのです。歌詞中の魚たちは、理不尽な目にあった、理不尽を目撃して闘おうとした人々の例えです。彼らが闘わなければこの小魚たちは生まれることができず、海に出ることはできなかったのです。そして海に出た小魚の群れはきらきらと「国境」を越え、「諦め」という名の鎖をほどいていくのです。(かつては出身地のことを国と呼んでいたので、国境というのはおそらく歌詞中の田舎のことでしょう)
以上より、この「ファイト!」のメッセージは
理不尽に立ち向かう覚悟(闘いの出場通知)を抱いて、理不尽に立ち向かってもあなたが勝つか負けるかそれはわからない。でもあなたが闘うことによって、後を継いだ人(小魚たち)が理不尽に打ち勝つ可能性を切り開くのですよ、無駄じゃないよ、ファイト!
ということなのかなと思います。
頑張れば報われるから頑張れというただの応援歌ではなく、頑張ってもあなたが報われるか報われないか分からないけど、それは後を継ぐ他の誰かのためになるよ、だからあなたの努力は無駄じゃないよという応援歌なのかなと思います。「織りなす布はいつかだれかを暖めうるかもしれない」のです。
余談
このファイトが収録されているアルバム『予感』。
全体的に叶わぬ恋の歌が多い気がします。
しかも好きなあなたには私以外に好きな人がいるという内容。。。
いつか取り上げたいなと思います。
参照元