ふじけんの資材置場

考えたこと、勉強したことの置き場所。勉強した内容のメモ、好きな歌詞の解釈、最新映画の感想など。

吾峠呼世晴作「鬼滅の刃」(特に縁壱)について"感察"する!!

吾峠呼世晴作「鬼滅の刃」について"感察"する!!

毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。

アラサーサラリーマンの私ですが私の中で話題になっている漫画を観て”感じた”ことを”考察”、つまり”感察”したいと思います。要するにただの戯記事です。

今回はいわずとしれた人気作吾峠呼世晴作「鬼滅の刃」、その中で個人的に最もお気に入りの話の一つである単行本21巻収録第187話「無垢なる人」について”感察”します。というかこの話が鬼滅の刃の中で一番好きです。笑

作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、事実とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。

 

あらすじ

第187話とその前話である第186話はいわゆる過去回想回であり、始まりの呼吸の使い手である縁壱が炭治郎の祖先である炭吉に対して身の上話をする、という話となっております。

「誰かに話を聞いて欲しかった」

縁壱が思い詰めていること、そして孤立していることが伺えるこの切り出しから、縁壱に何があり、何を思い詰めているのか、どうして孤立しているのかが第186話、第187話の2話に掛けて語られます。

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縁壱の生い立ち(20巻でも一部語られてます)、妻であるうたとの出会い、そして鬼との出会い。その中で縁壱と無惨との邂逅について語られます。始まりの呼吸の使い手と鬼の始祖である無惨との対峙であり、作中世界の最も重要な出来事であると同時に作品の山場でしょう。

お気に入りポイントその1:縁壱から無惨への問いかけ

縁壱と無惨との邂逅の中で、縁壱は無惨に問いかけます。

「命を何だと思っている?」

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この問いかけに対して無惨は答えず、縁壱を見ているだけでした。縁壱はその時のことを以下のように振り返っています。

「怒りの為か顔が赤黒く膨れあ上がっていて私の言葉は男の心まで届かないと思った」

縁壱のこの短い問いかけ、素晴らしいと思いました。「なぜ人を殺す?」、「なぜ鬼を作る?」、「殺した人に申し訳ないと思わないのか」ではなく、「命を何だと思っている?」なのです。
またこの問いかけでは「命」が誰の命か明言されていないことが描写として巧みだと思います。縁壱は命を「(自分も含めた)他人の命」と考えていますが、無惨にとって命は「自分の命」と考えたように見受けられます。急所を切り伏せられた無惨からすると、この縁壱の問いかけは意味が不明で「私の命を脅かしておいて、何を言っているんだ此奴」と思ったのでしょう。故に無惨は縁壱を本物の「化物」として恐れるのです。(22巻第195話でこの場面の無惨の心の内が語られています。)
縁壱としては意図していなかったことでしょうが、この問いかけにより「命」に対する価値観が縁壱と無惨で違っていることが分かったが故に「私の言葉は男の心まで届かない」と縁壱は考えたのではないでしょうか。
この問いかけに対し答えない、答えられないというこの場面で縁壱の命に対する考えと無惨の命に対する考え、延いては人(鬼殺隊)と鬼との考え方(=価値観)が決定的に相容れないものだということが分かります。巧いですね。。。

お気に入りポイントその2:生き汚いという言葉

無惨が撤退し、そこに残された珠世が放った名言。今後アニメなり映画なりで映像化されたときに話題となること間違いないでしょう。(単行本発売時にも話題になりましたっけ。。。)
この生き汚いという言葉はおそらく作品の造語であると思います。つまり鬼舞辻無惨を形容するために生まれた言葉なのです。もし辞書に生き汚いという言葉が収録される際には「吾峠呼世晴作の鬼滅の刃に登場する鬼舞辻無惨のようであること」と説明がつくのかもしれません。
では鬼舞辻無惨のどういった点が珠世に「生き汚い」と言わせしめたのでしょうか。私はただ単に生きることに執着しているという点だけでなく、以下の4点を以て「生き汚い」ということができるのではないかと考えてます。

1.生きることに執着していること(目的)
2.目的を阻害する要因を特定し、除去すること(目標)
3.目標を達成するために最適な手段を選択すること
4.その手段の達成のために「他人の命」の犠牲は厭わないこと

まず生きることに執着していることですが、作中に登場する別の言い方をすると「永遠、不滅であること」が鬼舞辻の目的となります。(単行本16巻137話)

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首脳会談

そしてその目的を達成するために「首の弱点を克服すること」、「太陽を克服すること」、「自身の危機となる鬼殺隊を滅ぼすこと」が目標になります。
その目標を達成するために「珠世を利用」したり、「鬼を作って青い彼岸花や太陽を克服する体質の人間を探させる」などをしています。忘れられがちですが、無惨は世界征服をするために鬼を作っているのではありません。
そして目標達成のためには手段を選ばない。人間が、あるいは鬼がいくら犠牲になっても構いません。ネタにされがちな下弦の鬼の粛清ですが、これは目標の達成に寄与しないと判断された鬼たちのリストラとも考えられます。

以下ご参考まで

目的・目標・手段の意味と違いを具体例でわかりやすく説明してみました

無惨は生きるという目的のために非常に目的合理的に行動していることが分かります。「生きたい」と思うのは生物であれば当たり前のことですが、そのために合理的かつ非情に振舞う点が生き汚いと言われた理由なのではないかと考えます。

お気に入りポイントその3:縁壱の心

炭吉に対して、妻子の死、無惨との対峙、兄が鬼になったことを語った後、縁壱が最後に心の内を吐露します。

「しかし私はしくじった。結局しくじってしまったのだ。私がしくじったせいでこれからもまた多くの人の命が奪われる」

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作中の炭治郎ではないですが、「縁壱さんは悪くない」のです。ただ縁壱は自身が特別強いこと、そして自身が為すべきことがわかっていたために、これらのしくじりは自分の責任であると感じているのです。他人の命を、その営みを美しいと感じる縁壱だからこそ、自分が、いわば使命をしくじったことにより、それが奪われたこと、そしてこれからも奪われ続けることに対して申し訳なさ、心苦しさを感じているのでしょう。

縁壱に掛ける言葉が見当たらない炭吉、そんな中、炭吉と妻すやこの娘であるすみれ(無垢なる人)がだっこをお願いしてきます。そして縁壱はすみれを抱き上げ、その屈託のない笑顔に涙するのです。叶わなかった家族を持つという夢をすみれに重ねたのか、剣士として救った竈門家族の幸せを思ったのか、そのとき縁壱が何を思ったか明記されてないのも良いですね、、、この場面何度見ても泣きます

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ジャンプ的な文脈で言えば、縁壱は作中世界で最強、無惨より強いという点に目が行きがちです。それは間違いないのですが、その最強とされるキャラクターの心の内にどれだけの葛藤があったのか、その心苦しさを描いた作品は少ないと思います。それが描かれるからこそ、私はこの話が鬼滅の刃の中で最も好きなんです。

 

鬼滅の刃 16 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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鬼滅の刃 20 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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鬼滅の刃 21 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 21 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

Clubhouseはなぜ招待制であるか

Clubhouseがなぜ招待制であるか

気になって調べたことのメモ&私見です。作成は2021年2月1日です。
文言の修正2021年2月4日。

気になったこと

以下のニュースです。

www.youtube.com


招待を希望する人が続出、招待枠(電話番号+アカウント)が金銭取引されるなど話題のClubhouseです。このClubhouseについて気になったのはなぜ「招待制」であるかということ。
プラットフォームビジネスであればユーザー数は多ければ多いほど良いものですが、なぜこのClubhouseは招待制という仕組みを導入したのか気になったのです。

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委託先システムエンジニアによるgithub経由のソースコード流出について私見

プロジェクトメンバーによるgithub経由のソースコード流出について

気になって調べたことのメモ&私見です。作成は2021年1月30日です。

 

気になったこと

以下のニュースです。

www.itmedia.co.jp

本来非公開の情報である企業のシステムのソースコードを開発メンバーがGithubで公開してしまいソースコードの流出となった件です。

メモ、考えたこと

究極的には企業のソースコードの個人による流出を防ぐことはできない?

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中島みゆき「ショウ・タイム」の歌詞について考える

中島みゆき「ショウ・タイム」の歌詞について考える

~ショウ・タイムという病理の現在~

毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。

アラサーサラリーマンの私ですが仕事が辛いときにいつも聴いてる中島みゆきさんの歌について自分が感じたこと、考えたことをまとめてみようと思います。

今回は個人的には今の時勢にも突き刺さる強いメッセージを持った一曲、「ショウ・タイム」をご紹介します。

 

中島みゆき「ショウ・タイム」について

中島みゆきさんの「ショウ・タイム」は1985年11月7日に発売された13作目のアルバム『miss M.』(ミス・エム)の収録曲です。『miss M.』に収録された曲の好きな歌詞については別記事でまとめているのでそちらも是非ご参照ください。

fuji-ken.hatenablog.com

「ショウ・タイム」の歌詞を考える

そんな「ショウ・タイム」歌詞ですが、歌詞に込められた皮肉やメッセージは35年経った現在2020年にも通ずるものがあります。正直当時の世相は分かりかねる部分があるので、その当時生活していた方々に詳しい話を聞いてみたいのですが、頑張って調べたので「ショウ・タイム」の歌詞を考察。。。というよりも紹介したいと思います。

※言わずもがなですが、以下は個人の感想でありますので、誤った解釈をしているかもしれませんが、ご容赦をいただければと思います。

日本中このごろ静かだと思います
日本中秘かに計画してます
なにも変わりありませんなにも不足ありません
たまに虚像の世界を翔びたいだけ

生前の日本の出来事は調べることしかできないので、実際にどうだったか私が断定することは難しいのですが、1980年代前半の日本は第二次学生運動あさま山荘事件、ハイジャック事件があった1970年代と比べて落ち着いた時代だったのだと考えられます。

※当時の日本の出来事と写真が以下のサイトにまとまっていたのでこちらを参照しました。文字情報ではなく視覚情報で当時の状況が分かるので勉強になりました。

www.aflo.com

日本中望みをあからさまにして
日本中傷つき挫けた日がある
だから話したがらない だれも話したがらない
たまに虚像の世界を翔びたいだけ

おそらく1945年の敗戦のことでしょう。さて「なにを」話したがらないのでしょうか。具体的かつ一意な答えはないと思いますが、おそらくは「日本の現実のこと」でしょう。日本の問題とされていることは今も昔も多々あり、解決したものもあれば、未解決のものも多くあります。そういったことを語りあうのは憚られる空気が1980年代当時もあったのでしょうか。

余談ですが、私は去年「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」という映画を観ました。この対談があったのが1969年、三島氏の自死が1970年でした。1970年当時はこの映画で描かれているように日本の過去、現在、未来について真剣に考える機会もあったのだと思いますが、そういった時代と比べると、1980年代は日本について考えて、語る機会が少なくなっていったのだと推測してます。

eiga.com

いまやニュースはショウ・タイム
いまや総理はスーパースタ-
カメラ回ればショウ・タイム
通行人も新人スター
Watch & enjoy チャンネル切れば別世界

サビです。ショウというのは舞台を中心とする演劇などの見世物・興行のことです。スターというのは演劇・映画・プロスポーツなどの興行分野におけるスターシステムでおいて、高い人気を持つ人物のことです。スターシステムについてはWikipediaによる定義は以下の通り。

『その興行のスター・システム(英語:star system)は、多くは演劇・映画・プロスポーツなどの興行分野において、高い人気を持つ人物を起用し、その花形的人物がいることを大前提として作品制作やチーム編成、宣伝計画、さらには集客プランの立案などを総合的に行っていく方式の呼称。』

このサビの歌詞は、ニュースは見世物興行であり、総理や通行人の人気で番組が組み立てられているようだけどそれでいいの?という疑問提起のようにみえます。
「人気」とか「面白そう」、つまり視聴率が稼げそうという観点のみでニュース番組を構成し、「第4の権力」としての役割を果たさないのであれば、ニュースは所詮見世物でしかないといえるでしょう。

以降、2番となります。

人が増えすぎて区別がつきません
みんなモンゴリアン区別がつきません
私 特技はハイジャンプ 私 苦手は孤独
たまに虚像の世界を翔びたいだけ

モンゴリアンというのは黄色人種のことです。ハイジャンプは走り高跳びのことですが何か別の意味があるのでしょうか。区別がつかない没個性モンゴリアンの「私」は虚像の世界への憧れがあるようです。

決まりきった演説 偉いさんの演説
揺れるジェネレイションイライラの季節
息が詰まりそうな地味な暮らしが続く
いいじゃないの 憧れてもすてきなショウ・タイム

決まりきった答弁をする偉いさんって昔からいたんですね、というか偉い人ってみんなそんなものなのか。そんな偉いさんを見た、地味な暮らしをしている「若者」(特定の年齢帯というより、偉いさんとの対比としての若者です。)がイライラを募らせるというのも今と変わらない気がします。そんな「若者」が憧れるのは、「すてきな」ショウ・タイムなのです。
ここまでの歌詞より、ニュースがショウ・タイムになってしまったのは、見世物同様のニュース番組=人気重視の「すてきな」ショウ・タイムを見たい、もしくは出演したいと憧れる「若者」が大勢いるためであるとも考えることができます。
「日本の現実のこと」というのは多くの場合直視したくないものであり、これから目を背け「すてきなショウ・タイム」ばかり見たくなります。しかし、そうしているとますます国のことが分からなくなるという「衆愚」の構造が、中島みゆきの作品にしばしば登場する「悪循環」としてこの歌にも見出されているように思います。

いまやニュースはショウ・タイム
乗っ取り犯もスーパースター
カメラ回ればショウ・タイム
私なりたいスーパースター

ここの乗っ取り犯というのはすてきなショウ・タイムに憧れた「若者」のなれの果てだと考えてます。虚像の世界(⇔現実の世界)に翔んでスーパスターになりたい「若者」はこの乗っ取りという事件を起こすことで世間の注目を集めようとしたのでしょう。

Watch & enjoy チャンネル切れば別世界

虚像の世界であるショウタイムを見ている間は楽しい。しかしテレビを消せば、地味な暮らしという現実が待っているのです。そう考えると、いつまでもチャンネルを切ることができないのです。

余談

この歌が発表された当時はテレビがマスメディアとして非常に大きな影響を持っていました。故にここで歌われるショウ・タイムもおそらくテレビ番組を想定しているのだと思います。

テレビはオワコンと言われる2020年現在でも、1985年に中島みゆきが見つけたショウ・タイムの病理は35年経って解消するどころか、テレビだけでなくSNSYoutubeにも伝播し、益々拡大しているように思います。

Youtubeはまさに「没個性な個人である私がスーパースターになれる場」として年々発展しています。このYoutubeで行われる多くのショウ・タイムは「現実」(国のこと、政治、経済など)を一切含まないという点でテレビのショウ・タイムよりも純度の高い「虚像の世界」を構築していると言えるでしょう。

一方のテレビにおけるショウ・タイムについても、バラエティ色の強い報道番組が増えており、「現実」を十分な信頼性をもって伝える場としてのニュース番組は少ないのが現状のように思います。ショウ・タイムの場がテレビからYoutubeに移った現在、テレビは本来の第4の権力としての役割に回帰するという選択もありな気がします。

スーパースターになりたい個人が、ショウ・タイムを発信できる時代になりましたが、これからショウ・タイムという病はどのように進化、拡大していくのでしょうか。。。

参考

1980年代の日本 - Wikipedia

ハイジャンプとは - コトバンク

 

 

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ヘイリー・ベネット主演「スワロウ(原題:Swallow)」について"感察"する!!

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毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。

アラサーサラリーマンの私ですが人生の唯一の生き甲斐である映画を観て”感じた”ことを”考察”、つまり”感察”したいと思います。要するにただの戯記事です。

今回は2021年1月1日(金)公開の「スワロウ(原題:Swallow)」についてです。

作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、事実とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。

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中島みゆきのアルバム「miss M.」の好きな歌詞5選

中島みゆきのアルバム「miss M.」の好きな歌詞5選

 

毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。

アラサーサラリーマンの私ですが仕事が辛いときにいつも聴いてる中島みゆきさんの歌の歌詞をひたすら紹介したいと思います。笑

今回は個人的に最も好きなアルバムの一つ「miss M.」の歌をご紹介します。

 

アルバム「miss M.」について

『miss M.』(ミス・エム)は、1985年11月7日に発表された中島みゆきの13作目のオリジナルアルバムである。個人的にはこのアルバム前後のみゆきさんの歌声が好きなんですよね。今もそうですが歌声や歌い方が多様で本当に同じ歌手??と思うような幅広さが魅力です。そんなアルバム「miss M.」に収録されている歌から個人的に好きな歌詞を5つ紹介したいと思います。

 

1.『それ以上言わないで』 

自分でなんか言えないことを 貴方自分で知ってたくせに
なにか言わなきゃならないような しずかな海になぜ来たの
少し私が寒そうにすると 貴方いつしか無意識のうち
上着を脱いではおってくれる よけいさみしい温もりね

男女の別れを描いた歌の歌い出し。別れる二人なのに全く険悪な様子はなく貴方(男)は私(女)を気遣う姿も。男の誠実さと女の気丈さがひりひりと心に沁みる一曲。

2.『月の赤ん坊』

閉ざしておいた筈の窓をすり抜け
子守歌が流れてる
裸足のままで蒼い窓辺に立てば
折れそうな三日月
だれが歌っているの だれが叫んでいるの
なんでもないよと答えた日からひとりになったの
笑顔のままで蒼ざめきった月は
今にも折れそう

絵画のような表現。青白い夜、まるでゴッホの星月夜のような。。。
笑顔のままで蒼ざめるという歌詞にはメランコリーを感じます。
曲の出だしのピアノのフレーズも印象的で好きです。

3.『忘れてはいけない』

許さないと叫ぶ野良犬の声を
踏み砕いて走る車輪の音がする

戦争や暴動かもしれませんし、強制立ち退きのようなものかもしれません。何があったのか具体的には明示されていませんが、この数フレーズで非常に強い憎しみの感情を想起させます。みゆきさんの曲は歌い出しの歌詞が本当に上手いと感じます。

4.『ノスタルジア

傷ついてもつまずいても過ぎ去れば物語
人は誰も過ぎた日々に弁護士をつけたがる
裁かないでね叱らないでね思い出は物語
私どんな人のことも天使だったと言うわ

人は傷ついたことや挫折したことにあれこれ理由を付けて失敗もよい経験だったと正当化しようとしてしまいます。同様に過去に合ったみじめな恋愛も美化されてしまうのです。そういった思い出を弁護士のように検証することをきっと誰も望まないでしょう。
。。。というヒトの業がポップな曲調で、30秒にも満たないフレーズで歌われています!

5.『肩に降る雨』

肩に降る雨の冷たさも気づかぬまま歩き続けてた
肩に降る雨の冷たさにまだ生きてた自分を見つけた

ハッとさせられる歌詞です。肩に降る雨が「冷たい」と感じなくなってしまっている自分に気づかされます。生きているうちに感受性は鈍り、そうしていくうちに何も感じなくなっていること、それはもはやヒトとして死んでいる状態になっているのではないかと考えさせられます。

余談

この「miss M.」には10曲収録されているのですが、その中で個人的に好きな曲を5曲紹介しました。。。。。実はもう一つ好きな曲があるのですがそれは個別に考察したいと考えております。35年前の曲にも関わらず今の世相にとても刺さる曲なんですよね。。。こうご期待!

参照

miss M. (中島みゆきのアルバム) - Wikipedia

 

miss M.【リマスター(HQCD)】

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  • アーティスト:中島みゆき
  • 発売日: 2018/04/04
  • メディア: CD
 

 

クレベール・メンドンサ・フィリオ監督「バクラウ 地図から消された村(原題:Bacurau)」について"感察"する!!

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毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。

アラサーサラリーマンの私ですが人生の唯一の生き甲斐である映画を観て”感じた”ことを”考察”、つまり”感察”したいと思います。要するにただの戯記事です。

今回は2020年11月28日(土)公開の「バクラウ 地図から消された村(原題:Bacurau)」についてです。

※作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、事実とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。

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