是枝裕和監督「怪物」の感想
河瀬直美監督「東京2020オリンピック SIDE:B」の鑑賞後レビュー
河瀬直美監督「東京2020オリンピック SIDE:B」の鑑賞後レビュー
~「「東京2020オリンピック」の2つの事実を描いた映画」の片面に関する10つの事実~
毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。
今回は2022年6月24日公開の「東京2020オリンピック SIDE:B」について、作中で描写、言及されていたことの備忘的なメモと鑑賞後感(レビュー)を記録してます。
自分は河瀬監督のファンではありませんし、東京オリンピックに対しても開催賛成、反対について強い意見があったわけではありませんでした。なので、あくまでもこの作品を見て得られる情報から意見を形成しています。
※作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、「事実」と「真実」とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。
- 河瀬直美監督「東京2020オリンピック SIDE:B」の鑑賞後レビュー
- ~「「東京2020オリンピック」の2つの事実を描いた映画」の片面に関する10つの事実~
- 1.SIDE:Bでもアスリートの視点は描かれている。
- 2.オリンピック開催"前"のイベントについて描かれている
- 3.バッハ会長、森会長について中心に描かれている
- 4.東京オリンピックの初期演出チームの解散、佐々木氏の就任について描かれている
- 5.東日本大震災の津波、広島原爆投下についても(詳細ではないが)言及されている
- 6.オリンピック反対派のデモについても描かれている
- 7.聖火リレーについて描かれている
- 8.冒頭の会議シーンでいわゆる「エヴァンゲリオン」フォントが用いられている。
- 9.随所で8ミリフィルム調の子供の顔のシーンが挿入されている。
- 10.2100年8月に自制が飛ぶ
- 以下、作品を観た個人的な感想
- 時制の移動が多すぎる
- アスリートを支えた側の視点が少ない
- オリンピック開催反対派の描写が少々偏っている
- 随所に挿入される8ミリフィルム調の子供のシーンと2100年8月のシーンの映画的意味が不明確
- 参考
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Matt Reeves監督「THE BATMAN-ザ・バットマン-」の感想
Matt Reeves監督「THE BATMAN-ザ・バットマン-」の感想~なぜTHE BATMANのバットマンは惨めなのか~
毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。
今回は2022年3月11日公開の「THE BATMAN-ザ・バットマン-」についてです。
自分はアメコミのバットマンやバットマンが登場するこれまでの映画作品をすべて見ているわけではありません。あくまもこの作品を見て得られる情報から意見を形成しています。
※作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、事実とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。
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アンソニー・ホプキンス主演「ファーザー(原題:The Father)」のストーリーとプロットを整理する
アンソニー・ホプキンス主演「ファーザー(原題:The Father)」のストーリーとプロットを整理する
毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。
今回は2021年5月14日公開の「ファーザー(原題:The Father)」についてです。
※作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、事実とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。
続きを読むトム・フィッツジェラルド監督「ステージ・マザー(原題:Stage Mother)」について"感察"する!!
トム・フィッツジェラルド監督「ステージ・マザー(原題:Stage Mother)」について"感察"する!!
毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。
アラサーサラリーマンの私ですが人生の唯一の生き甲斐である映画を観て”感じた”ことを”考察”、つまり”感察”したいと思います。要するにただの戯記事です。
今回は2021年2月26日(金)公開の「ステージ・マザー(原題:Stage Mother)」についてです。
※作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、事実とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。
何より冒頭が面白い
本作品で巧いなと思ったのが冒頭。いかにも場末なスナック風の店内で歌うドラァグクイーン二人組。音楽に合わせて口パクで歌う。んーいまいち。当然客もまばらで雰囲気も白けている。そんなスナック、ではなくゲイバーが本作の舞台。
その後、貴族の恰好をしたドラァグクイーンが登場し、アルコールでフラフラになりながら口パクのパフォーマンスを始めますが口が曲に全く合ってない。さっきの二人組よりヒドイ。曲も佳境に差し掛かった頃、なんと彼女は突然ぶっ倒れ、そのまま彼女は帰らぬ人となってしまう。彼女の本名はリッキー、そう本作の「主人公」である。
なんという急展開であろうか。冒頭10分で主人公は息を引き取る。主人公がリッキーの母であるメイベリンに移って以降の話はウェルメイドでチアフルな作品の中で、この冒頭だけは非常にショックの大きいシーンとなっている。
テキサスとサンフランシスコ
リッキーの母親であるメイベリンは彼女の訃報を「友人」であるネイサンから聞く。息子の子供の頃の写真を抱いて号泣し、息子の死を悲しむメイベリン。彼女はリッキーの葬式が開催されるサンフランシスコに向かおうするが、夫は葬式に参加しないどころか、家を出ていった息子のことなど知らないと言い放つ。それでも夫の反対を押し切りメイベリンは一人サンフランシスコに向かう。
このメイベリン夫婦が住んでいるのはテキサス州。本物カウボーイがすむ(と言われる)田舎町に住んでおり、彼らの生活スタイルは非常にコンサバティブ。一方のサンフランシスコはドラァグクイーン、シングルマザー達が闊歩する自由でカオスな街として描かれておりこの2つの州の文化的な対立構造とメイベリンの葛藤が対応する形で話が進んでいく。
そして場面は変わりサンフランシスコ。意を決して参加した息子リッキーの葬式には同じカマであるドラァグクイーン達が。。。明らかに場違いなメイベリン。ドラァグクイーン達は故人であるリッキーが大好きであったという愉快で下品なショーを始める。唖然とするメイベリン。彼女は耐え切れずに葬式会場を後にした。
家を出た子供のことを親はどれだけ知っているのだろうか
逃げるように葬式会場から飛び出したメイベリン。保守的な彼女にとって葬式で行われたドラァグクイーンのショーはインパクトが強すぎた。その後、彼女はリッキーと彼女の「友人」であったネイサンが同棲していたアパートを訪れるが文字通り門前払いをくらう。リッキーはメイベリンが認めればネイサンとパートナーになるつもりだったらしく、ネイサンはいつまでも結婚を認めなかったメイベリンを疎んでいるよう。
メイベリンが知っているのは、子供の頃の「いい子」だったリッキーであり、家を出てって以降のドラァグクイーンとして息子のことは知らない。メイベリンは息子リッキーがドラァグクイーンとして過ごしたこの街で、息子の面影を追いつつ、彼の残したゲイバーの改革に着手するだった。
マザーの第2の人生
ゲイバーの改革に乗り出した彼女はそこで働くドラァグクイーン達や居候先のシングルマザーの母として、第2の人生を歩み始める。そんな中で彼女はナイスミドルな恋愛も経験する。テキサスの良い奥さんであった彼女はドラァグクイーン達に感化される形でサンフランシスコの女になっていくというのが以降のあらすじ。
途中、テキサスに住む夫が、葬式に行って以来帰ってこないメイベリンを連れ戻しに来るが結局彼女はサンフランシスコに帰るという選択をする。夫の奉仕者である「良い妻」であったメイベリンはもういないのだ。
場所が変われば人が変わるとはいうが、メイベリンは息子が過ごしたサンフランシスコという場所でステージ・マザーとして生まれ変わったのだろうか、それとも元々彼女が持っていた彼女のマザーとしての素質がこのサンフランシスコで開花したのだろうか。
惜しむらくは、息子のリッキーが生きている間にこのサンフランシスコを訪れていればということだろう。そうすればリッキーにとっても、彼のパートナーのネイサンにとっても、そしてメイベリンにとってもより幸福な人生となったに違いない。ただリッキーの死がなければ、メイベリンはサンフランシスコに訪れることもなかったでしょう。そう考えるとすべてがうまくいくなんてことはないのだろうと思いました。
何かを始めるのに遅すぎることはない、むしろ何もしないと後悔するぞ
そう思った作品でした。
参考
庵野秀明作「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」について"感察"する!!
庵野秀明作「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」について"感察"する!!
毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。
アラサーサラリーマンの私ですが人生の唯一の生き甲斐である映画を観て”感じた”ことを”考察”、つまり”感察”したいと思います。要するにただの戯記事です。
今回は2021年3月8日(月)公開の「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」についてです。
※作品のネタバレを含みます。また個人の感想であり、事実とは異なる記載が含まれることがありますのでご容赦ください。
※咀嚼中につき、随時更新。明日も仕事だし。。。
私にとってのエヴァがどういう作品か
まず私にとってエヴァンゲリオンがどういった作品か関係を述べておきます。というのも、TVシリーズをリアルタイムで見た世代と新劇場版から見た世代ではこのエヴァンゲリオンに対して抱いている「想い」が違うと考えているからです。
スターウォーズを4~6をリアルタイムで見た世代とプリクエルである1~3から見始めた世代ではスターウォーズに抱く想いが違うのと同様です。スターウォーズの場合はこの想いの違いがシークエルである7~9へ抱く感想で表れているように思います。
まず私が最初見たエヴァはヱヴァンゲリヲン新劇場版:破で、しかも劇場ではなくDVDで見ました。そこからTVシリーズを1話から見て、旧劇場版を観て、新劇場版:Qを映画館で観て、シン・エヴァンゲリオンを劇場で観るに至っています。学生の時にリアルタイムでTV版エヴァを観ていたようなエヴァンゲリオンネイティヴ(私の造語です、おそらく?)ではありません。
TVアニメで言うとエヴァンゲリオンより先にまどか☆マギカを観ており、漫画でいうと進撃の巨人を読んでおり、ジャンプで言うとNARUTO、BLEACHの世代です。当然、宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999は観ていないし、ガンダムは後から追っかけました。
ですから、私はエヴァやヱヴァから大きな影響を受けた人間ではないと思います。暇なときに映画を観ようと思って、Googleで「おすすめ アニメ 映画」で検索したときにAKIRAやパプリカがHITするのと同様に、エヴァンゲリオンがHITしたから見てみたに過ぎないのです。
そういったアニメや漫画に興味があるが、先輩方や本職の人?に比べずいぶんとリテラシーの低い人間がこのシン・エヴァンゲリオン劇場版:||を観て抱いた感想を以下で述べていくものと位置づけください。また考察ではないので重ねてご容赦ください。
新劇場版におけるシンジとミサトの関係は実は険悪だった
シン・エヴァンゲリオンを観るにあたり、新劇場版序~Qを見返し、まず気づいたことが実はシンジとミサトの関係が険悪だったということです。険悪という表現が適切か分かりませんが、シンジとミサトは適切な信頼関係を抱けていないように見受けられます。
まず序では第5の使徒迎撃後、シンジがミサトに命令違反を咎められ宛てもなく家出をしますが、TVシリーズと異なり駅のホームでの「ただいま」「おかえりなさい」のくだりがありません。見返したときは尺の都合か意図的か分かりませんでしたが、Qとシンを観てある程度意図してカットしていたのではないかと推測します。
また破の冒頭、ゲンドウとシンジがユイの墓参りの後、送迎に着たミサトの車に乗るシーンではシンジはミサトに対してそっぽを向いており、受答えも素っ気ないです。新劇場版:破ではレイやアスカとの他のヒロインとの関係が非常に良好であったのに対し、ミサトとだけは信頼関係が築けていないのです。
なぜこのような設定の違いがあったかというと、「保護者になれないミサト」の問題を新劇場版では解決しようとしたのではないかと考えてます。多くは語りませんが、シン・エヴァではその問題を取り扱っており、一定の回答を示しているように思います。
北上ミドリというキャラクターは非エヴァファンの代理者
北上ミドリというキャラクターは新劇場版:Qで登場したキャラクターです。ピンクの髪、ギャル言葉などヴィレクルーの中でも異色な存在として描かれています。そんな彼女ですが、2020年5月16日にNHK BSプレミアムにて放送された『発表!全エヴァンゲリオン大投票』のTVシリーズと新劇場版3作品に登場する29名を対象とした(人気)キャラクター部門では上位20人にランクインしておりません。作中で目立った活躍もなく、キャラの掘り下げ不足もあってかこのような結果となったのでしょう。
だとしたらわざわざ彼女をこのエヴァンゲリオンという大舞台に登場させたのはなぜでしょうか、またその役割は何だったのでしょうか。
私はこのキャラクターの役割は「どこまでもこの現実社会にいるエヴァファンでない一般人であること」だと考えてます。(メタ的なキャラとでもいうのだろうか)
まずキャラクターの設定であるギャル(※)という点、現実社会にいるギャルはエヴァファンではないでしょう。(レッテル張りになってしまいますが、コンテンツテンプレートということで)。この現実世界のギャルである彼女はこのエヴァンゲリオンという不思議の国に引きずり込まれている状態なのです。そのため、彼女の言動は作中どこまでも実際の現実的です。
まず彼女が登場する新劇場版:Q冒頭での青葉シゲルとの会話。彼女の初登場シーンであり、作品におけるキャラクターの印象を決める重要なシーンですが、彼女の第1声は「それ、私の仕事ですか?」というセリフ。彼女にとってヴンダーに搭乗することはリアリティのない漠然とした使命ではなく「仕事」なのです。
そしてシン・エヴァンゲリオン。ゲンドウを追いかけるため初号機に乗ろうとしたシンジに対し彼女は銃を向けます。あんたのせいでめちゃくちゃだと、そしてミサトに対しては身内に甘すぎだと言い放ちます。
このシーンはシンジが自らの意思で父との対話を望み、初号機に乗ろうという場面であり、エヴァファンからしたらシンジに全量ライドする熱いシーンなのですが、現実社会の一般人の代理者である彼女は以下のように「水」ではなく「釘」を差しているように思います。
「いい大人がエヴァに夢中になっている間に現実社会(日本)めちゃくちゃなのに、何をいまさら「着地」しようとしてんの?身内(エヴァファン)に甘すぎ」
この劇中最高に熱いシーンに彼女を登場させたのはベストタイミングだと考えます。そして一連のやりとりにおける彼女の最後の締めくくりのセリフは
「明日生きていくことだけを考えよう」
なのです。これは和解ではなく諦めです。
その後、巨大化した綾波の頭をみて彼女が「絶対ヘン」というのも、実際に映画を観てる現実社会の我々が「ヘン」と思ったから、「怖い」ではなく「ヘン」と言ったのです。(あの3Dはないでしょ。。。と思えるかどうかです。)
個人的には北上ミドリというキャラクターめちゃくちゃ大事だと思うのですが、そのキャラクターがランキングの対象外、つまりエヴァファンの間から疎外されているというのはなんとも皮肉めいているなぁと思います。
※ギャルとしてのアスカ(イマジナリー)とミドリ(リアリティ)
ーー2021/3/8
中島みゆきのアルバム「中島みゆき」の好きな歌詞5選
中島みゆきのアルバム「中島みゆき」の好きな歌詞5選
毎度ご訪問ありがとうございます。ふじけんです。
アラサーサラリーマンの私ですが仕事が辛いときにいつも聴いてる中島みゆきさんの歌の歌詞をひたすら紹介したいと思います。笑
今回は個人的に最も好きなアルバムの一つ「中島みゆき」の歌をご紹介します。
アルバム「中島みゆき」について
『中島みゆき』は、1988年3月16日に発表された中島みゆきの15作目のオリジナルアルバムです。中島みゆき作中島みゆき、自分の名前を関したこのアルバムは全体的にロック色の強いアルバムです。「ファイト」の歌声をイメージしていると全く別人に聞こえます。そんなアルバム「中島みゆき」に収録されている歌から個人的に好きな歌詞を5つ紹介したいと思います。
1.『土用波』
愛の重さを疑いながら
愛に全てをさらわれてゆく
土用波は夏の土用のころ起こる高い大きな波のことだそうで、私もこの曲を聞いてから知りました。すべてをさらう夏の大波と愛を結びつけ、愛という感情の荒々しさを表現しているように思います。
2.『泥は降りしきる』
いいよォ ごめんだとか
べつにィ 平気だから
好きだとか 嘘だから
あれ みんな冗談だから
ほら 笑っているでしょう
フラれた女性の心境を描いた1曲。。。というよりも好きになった男性にはすでに彼女が、もしかしたら奥さんがいて、浮気なり不倫されていた女性の心境を描いているように思います。曲の最後はみゆきさんも思わず感情がこもってしまったようで涙声で歌っているように聞こえます。他の曲でもたまにありますよね。他アルバムの「捨てるほどの愛でいいから」とか聞いてて切なくなります。
3.『黄色い犬』
素っ裸で I Love You
素っ裸で I Need You
何ンにもない女でも 愛してくれますか
この歌詞だけ見ると春を売る仕事をしている女性に見えますが、歌詞全体をみるとどうも不穏な内容。今度しっかり感察してみようかなと思います。
4.『クレンジング クリーム』
クレンジングクリームひと塗り いやな女現われる
このフレーズが歌詞を変えて連続する特徴的な曲。オチが秀逸、、、というか残酷な1曲。「化粧」という曲もあり、もしかしたらアンサーソングなのかなぁなどと考えてます。
5.『ローリング』
工事ランプの凍る路地をたどって
探しあぐねた たむろできる場所を
昨夜 騒いだ店は 客を忘れて
一見相手の洒落た挨拶を配る
こちらは曲の歌い出しのフレーズ。「あぐねる」というのはいろいろ努力しても思うような結果が得られないで困ってしまうこと。この歌の主人公はたむろできる場所=自分の居場所を探しているがそれが見つけられない。自分のことを「常連さん」のように扱ってくれるかと期待し、昨日行ったお店に行ってみるも、他人行儀の丁寧な接客しかしてくれない。たった数行で現代的な疎外感を感じさせる歌詞ですが、「一見相手の洒落た挨拶を配る」とはステキな言い回しですよね。みゆきさんの曲の中でも特に好きな曲の一つです。
余談
Wikipedisによると当アルバムで中島みゆきの「御乱心の時代」は終止符が打たれることとなったそうです。みゆきさんの歌声や歌い方、曲調はどんどん変わってくのですが、初期のフォークソングから一転してロック調の曲が増えたのが「御乱心の時代」だったのでしょうか。当時ではなく後から追いかけた私にとってはどの年代の曲も魅力的であり、この「御乱心の時代」に製作された曲も好きなものが多いです。とてもとてもご乱心というようには思えなかったのですがね。
参照